天皇家の始まり

天皇家の系譜も10代を過ぎると少しリアリティが出てくる気がします。16代天皇の陵、仁徳天皇陵は教科書に写真が載っていてその巨大さに驚かされました。古墳時代と言うことで習った記憶があります

歴代天皇

第十一代 垂仁天皇(すいにん)

紀元前29年1月2日〜70年7月14日
垂仁天皇即位25年3月、天照大神の祭祀を皇女の倭姫命に託す(元伊勢伝承)。これが伊勢の最初でしょうか?紀元前とは驚きです。今の伊勢神宮とは場所などは違います

第十二代 景行天皇(けいこう)

71年7月11日〜130年11月7日
やっとキリストの世紀に入って来ました。キリスト教を景教と言ったような気がしますが、何か関係があるのでしょうか?

第十三代 成務天皇(せいむ)

131年1月5日〜190年6月11日
行政区画として国 郡(くにこおり)・県邑(あがたむら)を定めた天皇です。”成務”とは行政官としての勤めを果たしていたという意味?

第十四代 仲哀天皇(ちゅうあい)

192年1月11日〜200年2月6日
哀しいという感じが使われている為か名前を見るたびに不幸な天皇とのイメージが浮かび上がります。九州に遠征中に神の怒りを買いなくなったことになっています

第十五代 応神天皇(おうじん)

270年1月1日〜310年2月15日
卑弥呼が邪馬台国を支配していた時代ですね。 誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳が応神天皇稜古墳といわれています。2011年に初めて立ち入り調査をしたということで期待ができます

第十六代 仁徳天皇(にんとく)

313年1月3日〜399年1月16日
仁徳天皇稜が教科書に載っていて巨大な古墳の印象が強い天皇です。日本最初の大規模土木事業を難波でした天皇だったようです

第十七代 履中天皇(りちゅう)

400年2月1日〜405年3月15日
中国の『宋書』に見える「倭の五王」中の倭王讃に比定する説がある

第十八代 反正天皇(はんぜい)

406年1月2日〜410年1月23日
『宋書』・『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王珍(彌)である可能性が高い。履中天皇の弟と言うことです

第十九代 允恭天皇(いんぎょう)

412年12月〜453年1月14日
中国の歴史書『宋書』・『梁書』に記される倭の五王中の倭王済に比定されている

第二十代天皇 安康天皇(あんこう)

453年12月14日〜456年8月9日
中国の『宋書』・『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王興に比定されている。

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