天皇と怨霊

この時代、疫病や異常気象などが度々起こっていたようです。今の時代もあまり変わっていないと思いますが、悪いことが起こると誰かのせいにしたいものです。 疫病が起こる→統治者が悪い→理由はあの時○○に対してひどい仕打ちをした為だ 統治者を失脚させるには中々いい手法でもあります

歴代天皇

このページでは51代から60代までご紹介します。皇位継承と疫病の蔓延、異常気象など三つ巴で時代を作っていたようです

第五十一代 平城天皇(へいぜい)

806年3月17日〜809年4月1日
桓武天皇は最初弟の早良親王を皇太子にしましたが、後に皇太子にしたのは息子の安殿親王(平城天皇)です。この皇太子の変更が”早良親王怨霊事件”になります

第五十二代 嵯峨天皇(さが)

809年4月1日- 823年4月16日
平城上皇と嵯峨天皇とが対立する事件「薬子の変」がおこります

第五十三代 淳和天皇(じゅんな)

809年4月1日- 823年4月16日
桓武天皇の第七皇子と言うことで、嵯峨天皇とは異母兄弟のようです。天皇になりたくなかったのか、臣籍降下を希望していたけれど認められず、とうとう天皇になってしまった人です

第五十四代 仁明天皇(にんみょう)

833年2月28日- 850年3月21日
嵯峨天皇の第二皇子。叔父に当たる淳和天皇の譲りを受けて即位したようです。このあたりは兄弟やおじ、甥で持ち回りしている感じです。仁明天皇と言うとあまりなじみがないですが、深草天皇と言われると、そういえば後深草天皇と言うのがいたな・・。となります

第五十五代 文コ天皇(もんとく)

850年3月21日- 858年8月27日
正室は藤原良房の娘染殿后明子(あきらけいこ)だったけれど、愛妾は紀静子だったため、後継をめぐって文徳天皇と藤原良房との間に確執が発生

第五十六代 清和天皇(せいわ)

858年11月7日- 876年11月29日
わずか9歳で天皇に即位した為、外戚の藤原良房が権勢をふるう。後に武門の棟梁といわれる清和源氏の始祖となる

第五十七代 陽成天皇(ようぜい)

876年11月29日- 884年2月4日
退位時の年齢が17歳(満15歳)だそうです。早い年齢の退位ですから、なにやら陰謀がありそうですね

第五十八代 光孝天皇(こうこう)

884年2月5日- 887年8月26日
光孝天皇の時代に始めて関白が出現。藤原基経が第一代関白になったようです。光孝天皇は55歳で即位してわずか3年で死亡されたそうです

第五十九代 宇多天皇(うだ)

887年8月26日- 897年7月3日
事件の多い天皇のようです。阿衡事件、寛平の治、昌泰の変など3つも事件がるとと言うのもすごいですね。菅原道真の時代の天皇です

第六十代天皇 醍醐天皇(だいご)

897年7月3日- 930年9月22日
摂政や関白をおかずに政務をとっていたので「延喜の治」とあがめられたようです。藤原時平や菅原道真を大臣にしていた天皇です

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