皇位継承の難しさ

このページの一人目は”持統天皇”です。名前のとおり天皇家の系統をつなげる為に即位した天皇と言われています。天皇が早死にしたり、後継の男子がいなかったりで天皇家とその側近たちがかなり苦労を重ねたのが見て取れる時代です

歴代天皇

このページでは41代から50代までご紹介します。奈良の大仏の出来る時代です

第四十一代 持統天皇(じとう)

686年9月9日〜697年8月1日
天武天皇の奥さんであり、天智天皇の娘でもある人です。ある意味生粋の天皇の一人です。「継体持統」と言う熟語から取られた名前でその名のとおり、持統天皇も皇統を守る事を念頭に天皇位についた人です

第四十二代 文武天皇(もんむ)

697年8月1日〜707年6月15日
天武天皇と持統天皇の孫にあたる人です。日本書紀には天照大神が孫に日本の国を統治させることにしたのが天皇家の始まりとすると書いてあるようですが、正当化するために日本書紀に書かせたのではとも言われています

第四十三代 元明天皇(げんめい)

707年7月17日〜715年9月2日
このあたり少しややっこしいのですが、天武天皇と持統天皇の息子の草壁王子と天智天皇の娘との間に生まれたのが文武天皇で、43台天皇は早死にした文武天皇に変わって母親が天皇を継ぎました。 天智天皇の娘だから問題がなかったのでしょう

第四十四代 元正天皇(げんしょう)

715年9月2日〜724年2月4日
文武天皇の姉が皇位を継ぎます。天武天皇の血を引き継ぐ人が成人になるまでのピンチヒッターのような立場の人です。 この頃長屋王が右大臣になります

第四十五代 聖武天皇(しょうむ)

724年2月4日〜749年7月2日
文武天皇の第一皇子です。初期の頃は長屋王が政権を担当していたようです。 東大寺盧舎那仏像の建立の詔を出している天皇です。聖武天皇が天皇位に就かなければ奈良の大仏を目にする事もなかったかも知れません

第四十六代 孝謙天皇(こうけん)

749年7月2日〜758年8月1日
この時期なんとしても天武天皇系の血族を天皇位につけたかったようで、女帝が乱立しています

第四十七代 淳仁天皇(じゅんにん)

758年8月1日〜764年10月9日
天武天皇の息子舎人親王の七男ということで天武天皇の孫とは言え皇位継承権を主張するのも恥ずかしくなるような関係です。 この時期天武系の血縁者がほとんどいなくなってしまったための苦肉の策だったようですが、藤原仲麻呂に牛耳られていたようです

第四十八代 称徳天皇(しょうとく)

764年10月9日〜770年8月4日
”称徳孝謙”と言う言葉があるそうですが、孝謙天皇の好きな言葉だったそうです。 孝謙天皇は一時淳仁天皇に譲位後再度天皇位についたようです

第四十九代 光仁天皇(こうにん)

770年10月1日〜781年4月3日
天智天皇の孫と言うことですが、ずいぶん懐かしい名前が出てきた感があります。 相当高齢になってからの即位です。この光仁天皇からまた、天智系の天皇になって行きます

第五十代天皇 桓武天皇(かんむ)

781年4月3日〜806年3月17日
長岡京、平安京と在位中に引越しを繰り返した天皇です。 即位すると直ぐに同母弟の早良親王を皇太子にしていますが、その後廃嫡したのでそのたたりを恐れていたそうです。 「触らぬ(さわらの)神にたたりなし」

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